三摩の位について


新陰流の伝書に「三磨の位(さんまのくらい:伝書の元の文字は三摩の位)」というものがあります。

伝書の中では、○に点を3つ書いてあって、その下に「右重々ロ伝有之」って書いてあるだけなんですが、

この意味は、

3つの点がそれぞれ「習い」「稽古」「工夫」

なんです。

そして、”この順番で”車の車輪が回るかのようにグルグルと繰り返していく事というような教えです。

ところが、最近色々と調べてみると、剣道の世界でこの三磨の位が色々といわれていますがそのほとんど全てが順番を入れ替えて、

「習い」「工夫」「稽古」

となっていたりします。

そして、それが新陰流の極意だとさも良く知ってるかのように解説されているのをよく見かけます。

ですがこれ、間違いです!

なぜ元の伝書の言葉がこの順番になっているのかというのをよ~く考えないといけません。

習ったものを、自分のものにする前に工夫してそれから稽古(殆どの剣道関係の文章ではこのように解説されてます。)じゃあ伝承にはなりませんからね。

受け入れる前に工夫しちゃったら、すでにそれはコピーですらないまがい物ですから。

この話をしたときにある人からこんな指摘をされました。

「欧米式の教育を受けた我々現代人は、習ったことを、自分で解釈して稽古するというパターンがしみついちゃっているからしょうがないのかもね」

って・・・。

多分、きっとそのとおりなんでしょうね。

僕も含め、意識的にしないと現代ではそういうことは難しいのかもしれません。

昔の(江戸時代の)教育って、何にも考えることもない物心つく前からまずは素読からはじめたわけで、要するに意味もわからずにひたすら暗唱することからはじめたわけです。

とにかくただ受け入れて、考えることもなくまず模倣するところからはじめたわけですね。

そこには判断も批判も解釈もないわけです。

確かに一歩間違えたら狂信になってしまう恐れもありますが、一度信じたものならまず判断を捨てて受け入れることからはじめるってことが考え方として多分存在していたんだろうと思います。

そして、こんな事がわざわざ口伝として伝わっているということは、それが出来ない人も大勢いたということでもある、というか人の習性としてどうしてもそうなりがちな傾向があるということかもしれませんね。
きっと頭がよくて器用な人ほどそうなんだろうなという気もします。

でも、それが現代的な考え方で、まず入ってきた情報を取捨選択して、自分に合った形に(勝手に低いレベルで)変容させて、それをもって稽古するということではちょっと違うと思うんですね。

だから良師三年なんて言葉があるのかもしれません。

師匠についたらとにかく受け入れる、そして無批判に吸収する。
だからこそその前にじっくりと時間をかけて師匠は選ばなければいけなかったって事なのかもしれませんね。
もちろん縁もあると思います。

そんなことをつらつらと考えていたら、全く違う分野で同じような話があることを知りました。

多分、一部で流行しているNLPのモデリングが元になっている話なのかなと思いますが、催眠誘導のテクニックを習得するためのスキルとして同じような話があったんです。

スキルを得るためのテクニックとしてまとめられたもののようです。

--以下引用--
模倣
<中略>
1、マスターしたいスキルや分野を体得した人を見つけます。
2、意識的な考えや判断はしばらく中断させます。
3、全ての感覚をオープンにして、模倣する人物の行動をカリブレーションします!
  無批判に相手の行動をそのまま吸収するのです。
4、今、自分がその相手になったつもりで、相手の行動を真似始めてください!
5、相手と同じような行動がコンスタントに出来るようになるまで、3、と4、を交互に繰り返します!
6、この時点で批判力を起動させ(注:つまりこの時点までは判断しないで無批判にありのまま受け入れるってことですね)、これまで無意識に吸収したスキルを系統的に分析し、どのような原則が活用されているのかについて検討します。

こうすることによって習得したスキルの能率が上がります。
--引用終わり--

まさに一緒でしょ!

心理学的にもこのような方法でものを体得するってことが有効だと現代では欧米でも考えられているってことですね!

三磨の位に照らし合わせてみると、

1~3が習いで、
4,5が稽古で、
6が工夫
ですね。

で、また振り出しに戻って延々とそれを繰り返すと・・・。

やっぱりものを学ぶ時には判断とか分析とかそういった思考を一旦ストップさせて、ただただ受け入れモードになって模倣に徹するってのが大事なんですね。

その後に判断すると。

順番を逆にしちゃダメなんですね~。

ここで多くの人が、「2、意識的な考えや判断はしばらく中断させます。」をつい無視しちゃうんですね。

そして、「無批判に吸収する」ってことをしないで作っちゃう。

意識的にこのプロセスを止めることが出来ないと、技術習得にはかえって遠回りになってしまうんだろうと思います。

ただ、すでにこのような思考法を我々現代人が教育され続けて早100年以上たってますから・・・、

すでに師匠になってるような人がこのような考えが出来ない人が多かったりして・・・、

良師3年どころか探すのがなおさら難しくなってたりってことはあるのかもしれませんね。

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