兵法論
一刀両段ハ当流表の形の第一にて、是を熟得すれは一流の修行成就也。
車の横に似たれとも、車と構ヘるにあらす。
唯ぼっこりと豊に立て太刀を正中に持下げたる迄にて、無形無心直立たる身の位也。
無形とおもへは則無形といふ形ち有、無心とおもヘハ、はや無心といふ心有、思案分別をはなれて直立たる迄也。
兵法は常、常ハ兵法と云ふ事有、兵法とて別に作り構る身を嫌ふ也。
又直立とて、すぼけて立伸たる事にはあらす。
上段下段何れの太刀にも行住坐臥にも、直立たる身の位有。
処女脱兎の勢ひといふも、此直立たる至極自由の体中より出るものなり。
又兵法(我より勝にあらす。
敵より負るにもあらす。
敵の仕懸るに随ひ、転して勝をとる所、我もしらす其よろしきに叶ふを妙といふ。
妙は形なく言語にも述られす、有にもあらす、無にもあらす。
思案分別に及はぬ処なり。
百億の言をもいかて説得る事有ん。
若説得ヘきハ妙にあらす、此道有事を自得し、又は師より伝声しれとも、知たるまてにては何の益なし。
知らぬも同前也。
只日夜怠らす天窓に火の付たるを救ふか如く、他念なく修行するそ妙にいたるの近道なるヘし。
我神妙剣を以て敵の神妙剣を相手にする也。
此外に相手はなきものなり。
両鏡相照して而形像無し。
新陰流兵法は常州の住愛洲移香といふ者工夫して陰の流と号す。
後上野国上泉武蔵守ヘ伝ヘり。
武蔵守転の一道を伝ヘり。
武蔵守転の一道工夫して新の一字を加ヘ新陰流と改む。
夫れ陰の流とは、日の不入といふ儀なり。
日は隙の事、不入とは日のはいらぬといふ言也。
人皆敵に勝んと向ふにのミ求れは手前か脱けて却て其間を敵にうたるゝもの也。
因て先手前を全くして少しも間のなき者になる事を第一とする也。
是所謂不敗之地なり。
少しも問のなきもの也。
なる時は敵より自然と負来るへし。
我そこをはつさす勝位也。
是一流の大意なるかゆヘに、 日の不入をとつて標題とせり。
大猷院様上意に、兵法ハ表裏・気前も我方にはなし。
皆敵の機によりて出てくるものなりと。
亦兵庫介云、敵に勝んと思ふに、敵有と、又連也日、己を截断して敵を攻すと、皆是陰の流の意なり。
当流の本体直立る身の位を得て天性にしたかふ時は、心機手足の働きは円転自在なれども七情起りて天性を滅すゆへ、無縄自縛して目も見えす手足も働かざるなり。
よって先ッ我身にある大敵勝事を本として、少しも間のなき様にと修行肝要也。
夫兵法とは、軍の作法なれとも、剣・槍・長薙刀其外の武芸も皆この作法の中にこもりたる業なれは、昔はすヘて武芸を兵法と云たる也。
諸流の太刀も、多く兵法と云。
また佐分流の槍も書に兵法と書き、静流の薙刀も書に兵法とかけり。
鉄胞異国よりわたり其術を伝ヘて兵法といへり。
昔は武芸を皆兵法と唱ヘたる事是を以てしるヘし。
今は其芸を分け、其名を称す。
しかれとも当流の太刀は奥意に至りては庶人これを学ヘは身を修め、国君これを学ヘは国を治め、天子これを学ヘは天下を治むヘき妙術有によつて、神君様格別に御用ひ遊され、巳に御兵法に御用ひ遊されぬる事有て、旁以兵法と唱ヘ来る事也。
又権現様上意に徳川御称号の御方々様ハ御末々まて此御兵法御学可被遊よふにと、又大猷院様小野流の大刀を御稽古可被遊哉と御伺の時、台穂院様上意に、小野流は剣術なり、柳生流の兵法を御学被遊候ようとの御事、又大猷院様但馬守に兵法を学ひて、天下を治るの奥旨を得たりとの上意もあり、依て妄りに剣術を以て兵法と称する訳にハあらす。
御流儀に必勝の妙術有、右の御三君様、源敬様、瑞竜院様なと皆此妙術を御熟得被遊たりしと。
雷刀とは、疾雷不及掩耳、恐雷不及瞑目といヘるより名付たる事にて、雷の九天の上にて鳴て共形見るヘからす。
何とも察しはかられす。
いつくヘ落るかしるヘからすして避られぬ所、落て物を打砕く勢ひは、疾き事耳をふさき、目をねむるの間もなきにたとへたり。
敵より吾方を見るに如此勢ひ万物をおもふて唯無形にして何の手段有とも見えす、何ともさつしはかられす、どこを打かしれすして、避る事も受る事もならさるよふに疾打ことをいふ也。
是を首上に取上たる太刀に名付れとも、其実は、中段・下段も皆雷刀に非すといふ事なし。
下段・中段・雷刀・雷刀・中段・下段、一二三、三二二是転の形にして、三本に分れとも其勝口も又一也。
又相雷刀といふ事も彼我相共に雷刀といふ事にて、我独雷刀に非す。
敵もまた雷刀也といふこと也。
互に雷刀ならさるものを打、皆人敵を下手にして工夫すれハ勝負の吟味は行届かさる也。
吾工夫したる程の事、敵も工夫して置もの也。
よつて勝負は互に雷刀ならさるものを打事なり。
相雷刀もまた転非截の一種にして、別に形あるに非す。
しかれともそのなす所は、敵真直に打時、我も真直に合つして打勝也。
又先に勝後事も、此中の機によつてなす也。
教に敵もしらす、吾もしらすく打と、是ハ打んと思ヘははや其色形のあらハるゝゆヘ、敵も打事ならす、却て吾形のあらハれたる所を敵より勝也。
よつて唯虚空より打事有りて、我も是をしらされは、敵もこれを不知也。
是吾もと不打の打ち故に、打形のあらハるゝ事ハなし。
唯雷の九天の上に鳴て、其形の見得ぬか如し。
我より無形になりて出んと無形を作り又何の手段有とも、是にては敵得見ましなと、心得て吾より定めたるハ雷刀にあらす。
雷刀は前にいふ如く、何とも不知よふに敵より思ふの也。
吾より見せむとするにはあらす。
然らは又いかよふにせは、此本体を得て敵に如此思ふとなれは、不拾書の教に、直立る身の位あり、是を得ハ、敵より然思ふへき也。
歌に
直立る身とは自由の姿にて
くらいといふに猶心あり。
直立ものそ位なりける。
と是也。
是は、りきます、構ヘす、不伸、不屈、唯性の自然に随ふて立たるまての身なれは、至極直なる処にて、自由自在なる所なりと。
又行住坐臥動静に直立物といふも、別に気を直立てよと外にもとめさせるにあらす。
性のまゝなる身の中に行住坐臥にも直立もの有。
是か位といふもの也といふ事也。
囚て実に雷刀ならむ事な求めんとせは、唯性に随つて直立たるまてなる時ハ、天性自然の形ち、外に別にそヘたる形なく、別にそへたる形なき時は、おのつから至大至剛なる気、行住坐臥にも直立て万物を覆ハむ。
如此位を得ハ、敵は吾か傀儡を使ふか如し。
是致人而不致於人の位也。
是を実の雷刀といふ。
転とは変動無常因敵転化すといふより出たる事にて、変動する事は、常に定まる事なし。
敵の仕懸千変万化、吾因て転化すといふ事也。
其転移変化する勢ひ如転円石ヲ於千仭之山ニ者ノ勢也といふ意にて、まろひ安き丸き石をまろひ安き高山の上よりまろはすか如く、滞りなくするとにして、ふせきそむる事ならぬ勢也。
是は直立て自由白在成身にて、敵の負け来る処也。
速に転化する勢ひをいふ也。
此勢ひ常に定りたる事なし。
水の物に応して速に勢ひをなすかことく、自然に応する勢ひ也。
故に兵の形ちは、水に象るといへり。
一人の勝負も道は一也。
車の横に似たれとも、車と構ヘるにあらす。
唯ぼっこりと豊に立て太刀を正中に持下げたる迄にて、無形無心直立たる身の位也。
無形とおもへは則無形といふ形ち有、無心とおもヘハ、はや無心といふ心有、思案分別をはなれて直立たる迄也。
兵法は常、常ハ兵法と云ふ事有、兵法とて別に作り構る身を嫌ふ也。
又直立とて、すぼけて立伸たる事にはあらす。
上段下段何れの太刀にも行住坐臥にも、直立たる身の位有。
処女脱兎の勢ひといふも、此直立たる至極自由の体中より出るものなり。
又兵法(我より勝にあらす。
敵より負るにもあらす。
敵の仕懸るに随ひ、転して勝をとる所、我もしらす其よろしきに叶ふを妙といふ。
妙は形なく言語にも述られす、有にもあらす、無にもあらす。
思案分別に及はぬ処なり。
百億の言をもいかて説得る事有ん。
若説得ヘきハ妙にあらす、此道有事を自得し、又は師より伝声しれとも、知たるまてにては何の益なし。
知らぬも同前也。
只日夜怠らす天窓に火の付たるを救ふか如く、他念なく修行するそ妙にいたるの近道なるヘし。
我神妙剣を以て敵の神妙剣を相手にする也。
此外に相手はなきものなり。
両鏡相照して而形像無し。
御流儀名之説
新陰流兵法は常州の住愛洲移香といふ者工夫して陰の流と号す。
後上野国上泉武蔵守ヘ伝ヘり。
武蔵守転の一道を伝ヘり。
武蔵守転の一道工夫して新の一字を加ヘ新陰流と改む。
夫れ陰の流とは、日の不入といふ儀なり。
日は隙の事、不入とは日のはいらぬといふ言也。
人皆敵に勝んと向ふにのミ求れは手前か脱けて却て其間を敵にうたるゝもの也。
因て先手前を全くして少しも間のなき者になる事を第一とする也。
是所謂不敗之地なり。
少しも問のなきもの也。
なる時は敵より自然と負来るへし。
我そこをはつさす勝位也。
是一流の大意なるかゆヘに、 日の不入をとつて標題とせり。
大猷院様上意に、兵法ハ表裏・気前も我方にはなし。
皆敵の機によりて出てくるものなりと。
亦兵庫介云、敵に勝んと思ふに、敵有と、又連也日、己を截断して敵を攻すと、皆是陰の流の意なり。
当流の本体直立る身の位を得て天性にしたかふ時は、心機手足の働きは円転自在なれども七情起りて天性を滅すゆへ、無縄自縛して目も見えす手足も働かざるなり。
よって先ッ我身にある大敵勝事を本として、少しも間のなき様にと修行肝要也。
御流儀兵法と称する説
夫兵法とは、軍の作法なれとも、剣・槍・長薙刀其外の武芸も皆この作法の中にこもりたる業なれは、昔はすヘて武芸を兵法と云たる也。
諸流の太刀も、多く兵法と云。
また佐分流の槍も書に兵法と書き、静流の薙刀も書に兵法とかけり。
鉄胞異国よりわたり其術を伝ヘて兵法といへり。
昔は武芸を皆兵法と唱ヘたる事是を以てしるヘし。
今は其芸を分け、其名を称す。
しかれとも当流の太刀は奥意に至りては庶人これを学ヘは身を修め、国君これを学ヘは国を治め、天子これを学ヘは天下を治むヘき妙術有によつて、神君様格別に御用ひ遊され、巳に御兵法に御用ひ遊されぬる事有て、旁以兵法と唱ヘ来る事也。
又権現様上意に徳川御称号の御方々様ハ御末々まて此御兵法御学可被遊よふにと、又大猷院様小野流の大刀を御稽古可被遊哉と御伺の時、台穂院様上意に、小野流は剣術なり、柳生流の兵法を御学被遊候ようとの御事、又大猷院様但馬守に兵法を学ひて、天下を治るの奥旨を得たりとの上意もあり、依て妄りに剣術を以て兵法と称する訳にハあらす。
御流儀に必勝の妙術有、右の御三君様、源敬様、瑞竜院様なと皆此妙術を御熟得被遊たりしと。
雷刀之説
雷刀とは、疾雷不及掩耳、恐雷不及瞑目といヘるより名付たる事にて、雷の九天の上にて鳴て共形見るヘからす。
何とも察しはかられす。
いつくヘ落るかしるヘからすして避られぬ所、落て物を打砕く勢ひは、疾き事耳をふさき、目をねむるの間もなきにたとへたり。
敵より吾方を見るに如此勢ひ万物をおもふて唯無形にして何の手段有とも見えす、何ともさつしはかられす、どこを打かしれすして、避る事も受る事もならさるよふに疾打ことをいふ也。
是を首上に取上たる太刀に名付れとも、其実は、中段・下段も皆雷刀に非すといふ事なし。
下段・中段・雷刀・雷刀・中段・下段、一二三、三二二是転の形にして、三本に分れとも其勝口も又一也。
又相雷刀といふ事も彼我相共に雷刀といふ事にて、我独雷刀に非す。
敵もまた雷刀也といふこと也。
互に雷刀ならさるものを打、皆人敵を下手にして工夫すれハ勝負の吟味は行届かさる也。
吾工夫したる程の事、敵も工夫して置もの也。
よつて勝負は互に雷刀ならさるものを打事なり。
相雷刀もまた転非截の一種にして、別に形あるに非す。
しかれともそのなす所は、敵真直に打時、我も真直に合つして打勝也。
又先に勝後事も、此中の機によつてなす也。
教に敵もしらす、吾もしらすく打と、是ハ打んと思ヘははや其色形のあらハるゝゆヘ、敵も打事ならす、却て吾形のあらハれたる所を敵より勝也。
よつて唯虚空より打事有りて、我も是をしらされは、敵もこれを不知也。
是吾もと不打の打ち故に、打形のあらハるゝ事ハなし。
唯雷の九天の上に鳴て、其形の見得ぬか如し。
我より無形になりて出んと無形を作り又何の手段有とも、是にては敵得見ましなと、心得て吾より定めたるハ雷刀にあらす。
雷刀は前にいふ如く、何とも不知よふに敵より思ふの也。
吾より見せむとするにはあらす。
然らは又いかよふにせは、此本体を得て敵に如此思ふとなれは、不拾書の教に、直立る身の位あり、是を得ハ、敵より然思ふへき也。
歌に
直立る身とは自由の姿にて
くらいといふに猶心あり。
直立ものそ位なりける。
と是也。
是は、りきます、構ヘす、不伸、不屈、唯性の自然に随ふて立たるまての身なれは、至極直なる処にて、自由自在なる所なりと。
又行住坐臥動静に直立物といふも、別に気を直立てよと外にもとめさせるにあらす。
性のまゝなる身の中に行住坐臥にも直立もの有。
是か位といふもの也といふ事也。
囚て実に雷刀ならむ事な求めんとせは、唯性に随つて直立たるまてなる時ハ、天性自然の形ち、外に別にそヘたる形なく、別にそへたる形なき時は、おのつから至大至剛なる気、行住坐臥にも直立て万物を覆ハむ。
如此位を得ハ、敵は吾か傀儡を使ふか如し。
是致人而不致於人の位也。
是を実の雷刀といふ。
転之説
転とは変動無常因敵転化すといふより出たる事にて、変動する事は、常に定まる事なし。
敵の仕懸千変万化、吾因て転化すといふ事也。
其転移変化する勢ひ如転円石ヲ於千仭之山ニ者ノ勢也といふ意にて、まろひ安き丸き石をまろひ安き高山の上よりまろはすか如く、滞りなくするとにして、ふせきそむる事ならぬ勢也。
是は直立て自由白在成身にて、敵の負け来る処也。
速に転化する勢ひをいふ也。
此勢ひ常に定りたる事なし。
水の物に応して速に勢ひをなすかことく、自然に応する勢ひ也。
故に兵の形ちは、水に象るといへり。
一人の勝負も道は一也。