なぜ剣道は継足なのか?
古流では通常普通の歩み足が常とされているのにも関わらず、なぜ現代剣道は継足なのか? 世間では剣道というと継足をするのが普通だという認識があるがなぜなのか? という疑問を古流をやった人であれば持った事があると思いますが、それを僕なりに推論してみました。
まず、継足という事に触れる前に、日本人の基本的な身体操法ということから書いてみましょう。
日本の伝統芸能全てにあてはまる或いは大きく影響を与えているものにナンバという事があります。
ナンバというのは簡単に言うと(というより一般的に言われているのは)右足が前に出るときに右手も 前に出るという半身の姿勢で歩行をする事です。
ただし、現代の歩法のように手を出すわけではなく、足が出るときに同じ側の半身が前に出ると行った方が正しいですね。
で、このナンバという事は、昔の日本人が「遠心力」を身体運用の中に含まない純粋な農耕的な生活を行っていた事からとられてきた 基本的な身体操法だと考えてよいと思います。
つまり、人口の90%以上が農民であった江戸以前の 日本においては遠心力・旋回力というものを全く使わない身体操法が基本だったということです。
ちなみに、江戸中期以降の都市部では生活の変化から逆ナンバといわれる現代の歩き方により近い歩法も現れていた(それでも今のように手は振らないが)らしいんですけどね。
これは上方舞等で このような違いを表現していた(つまり都会の人間と田舎の人間とを歩き方で区別する技法が存在する)という事から分かっている事らしいです。
能や狂言の世界でも、もちろんこのナンバが基本となっているわけですが、この能の世界で 「極重習」などといって難しいとされている事に「走り込み」というものがあるそうです。
これは、ナンバの歩きをしながらなおかつ重心をずらさずに、立身中正のままで「走り込み」という事を行うという事なのですが、体の旋回力を利用すれば非常に簡単なことなので、現代的な歩法で無批判にこれをおこなえばなんの問題もなく出来るのですが、ナンバという様式を保持したままでこれを行うのは 至難の業であるらしいです。
専門にやっていた人でさえ特別な口伝・稽古無しには出来ない事であったらしいです。
さらにジグザグに走る等という事はもう現在では不可能だとまでいわれている難事らしいのです。
古流をやって、体がそれにあった常態に変わってきた人なら多分走るという事に非常に違和感を感じた事のある人は結構いるのでは?と思いますが、このように体の旋回を使わずに走るという事は非常に難しかったんですね。
ところで、農耕に使用した馬や牛についてもナンバという事が問題になってくるらしいですね。
牛は本来ナンバ歩きをするものですが、馬は右の前足が出るときには左の後ろ足が出るという逆の動きを するのが普通です。
しかし、昔の武士の用いた戦闘用の馬というのは実はこういう歩き方をしていなかったという話があって、わざわざ足にかせをはめてナンバ歩きをするように矯正したものであったらしいです。
ここで歌舞伎等の古典芸能での馬の歩き方が現代の馬の歩き方と逆になるという話が時々問題に成る事もあるらしいです。
ついでにいうと、乗馬でも、西洋式の乗馬は左から乗りますが、日本の伝統的な乗馬では 右から乗るのが正しいそうです。
これは利き足が右足であると考えると、西洋式の騎乗方法というのは左足を まずあぶみにかけて、体の旋回力でもって右足をかけるという方法を取っているが、伝統的な方法ではこの逆に 利き足である右足を先にあぶみにかけて、体の旋回力を利用しないで騎乗するそうです。
話を戻しますが、このような体の旋回を使わない身体操法では、例えば剣先をぶらさずに真っ直ぐ 突進するとか、身を入れ替えるとか、そういう事は時間をかけてじっくりと練らない事には出来ない事だった と思います。
で、現代剣道的ないわゆる当時「速習法」とか「即達法」といわれた試合稽古中心の剣道ではそういった時間をかけて練る必要のある物は省いて便宜的に真っ直ぐ進める方法を教える必要があったんだと思うんです。
当時は時代の要請で90%はいたと言われる武士以外の人たちを戦闘要員としてすぐに使えるように教育しなければいけなかったから仕方が無かったと思うんですけど、それが形を捨ててしまった剣道に引き継がれて現代に至っているんではないか?
そんなわけで真っ先に切り捨てられたのが普通に歩くという事だったのではないかと思うわけです。
ちなみに明治政府が本格的に農民兵の近代軍隊への再編成というか再教育を行おうとした時に問題となった 兵士としての欠点というのが以下の通りだったそうです。
集団移動が出来ない
行進が出来ない
駆け足が出来ない
突撃が出来ない
方向転換が出来ない
匍匐前進が出来ない
そしてこのために軍隊では歩行についての訓練の強化改定がされたそうで、恐らくこの運動が学校教育にも 取り入れられて、今のように子供の頃から歩行について教育を行ったことでだんだんとなんば歩きが駆逐されていったんだろうと思います。
このなかで方向転換が出来ないという事も、武士としての教育を受けていなければ難しかったことだろうと思います。
礼法でも、大基本として立つ・座る・真っ直ぐ歩く事の次に廻るという事を わざわざ教えてたくらいですからね。
昔はなぜわざわざただ方向転換するという事を教えなければ 出来ないんだろうって疑問に思ってたもんですが、身体運用から徹底的に旋回動作を省いていくと方向転換って事だけでも結構難しいもんです。
まず、継足という事に触れる前に、日本人の基本的な身体操法ということから書いてみましょう。
日本の伝統芸能全てにあてはまる或いは大きく影響を与えているものにナンバという事があります。
ナンバというのは簡単に言うと(というより一般的に言われているのは)右足が前に出るときに右手も 前に出るという半身の姿勢で歩行をする事です。
ただし、現代の歩法のように手を出すわけではなく、足が出るときに同じ側の半身が前に出ると行った方が正しいですね。
で、このナンバという事は、昔の日本人が「遠心力」を身体運用の中に含まない純粋な農耕的な生活を行っていた事からとられてきた 基本的な身体操法だと考えてよいと思います。
つまり、人口の90%以上が農民であった江戸以前の 日本においては遠心力・旋回力というものを全く使わない身体操法が基本だったということです。
ちなみに、江戸中期以降の都市部では生活の変化から逆ナンバといわれる現代の歩き方により近い歩法も現れていた(それでも今のように手は振らないが)らしいんですけどね。
これは上方舞等で このような違いを表現していた(つまり都会の人間と田舎の人間とを歩き方で区別する技法が存在する)という事から分かっている事らしいです。
能や狂言の世界でも、もちろんこのナンバが基本となっているわけですが、この能の世界で 「極重習」などといって難しいとされている事に「走り込み」というものがあるそうです。
これは、ナンバの歩きをしながらなおかつ重心をずらさずに、立身中正のままで「走り込み」という事を行うという事なのですが、体の旋回力を利用すれば非常に簡単なことなので、現代的な歩法で無批判にこれをおこなえばなんの問題もなく出来るのですが、ナンバという様式を保持したままでこれを行うのは 至難の業であるらしいです。
専門にやっていた人でさえ特別な口伝・稽古無しには出来ない事であったらしいです。
さらにジグザグに走る等という事はもう現在では不可能だとまでいわれている難事らしいのです。
古流をやって、体がそれにあった常態に変わってきた人なら多分走るという事に非常に違和感を感じた事のある人は結構いるのでは?と思いますが、このように体の旋回を使わずに走るという事は非常に難しかったんですね。
ところで、農耕に使用した馬や牛についてもナンバという事が問題になってくるらしいですね。
牛は本来ナンバ歩きをするものですが、馬は右の前足が出るときには左の後ろ足が出るという逆の動きを するのが普通です。
しかし、昔の武士の用いた戦闘用の馬というのは実はこういう歩き方をしていなかったという話があって、わざわざ足にかせをはめてナンバ歩きをするように矯正したものであったらしいです。
ここで歌舞伎等の古典芸能での馬の歩き方が現代の馬の歩き方と逆になるという話が時々問題に成る事もあるらしいです。
ついでにいうと、乗馬でも、西洋式の乗馬は左から乗りますが、日本の伝統的な乗馬では 右から乗るのが正しいそうです。
これは利き足が右足であると考えると、西洋式の騎乗方法というのは左足を まずあぶみにかけて、体の旋回力でもって右足をかけるという方法を取っているが、伝統的な方法ではこの逆に 利き足である右足を先にあぶみにかけて、体の旋回力を利用しないで騎乗するそうです。
話を戻しますが、このような体の旋回を使わない身体操法では、例えば剣先をぶらさずに真っ直ぐ 突進するとか、身を入れ替えるとか、そういう事は時間をかけてじっくりと練らない事には出来ない事だった と思います。
で、現代剣道的ないわゆる当時「速習法」とか「即達法」といわれた試合稽古中心の剣道ではそういった時間をかけて練る必要のある物は省いて便宜的に真っ直ぐ進める方法を教える必要があったんだと思うんです。
当時は時代の要請で90%はいたと言われる武士以外の人たちを戦闘要員としてすぐに使えるように教育しなければいけなかったから仕方が無かったと思うんですけど、それが形を捨ててしまった剣道に引き継がれて現代に至っているんではないか?
そんなわけで真っ先に切り捨てられたのが普通に歩くという事だったのではないかと思うわけです。
ちなみに明治政府が本格的に農民兵の近代軍隊への再編成というか再教育を行おうとした時に問題となった 兵士としての欠点というのが以下の通りだったそうです。
集団移動が出来ない
行進が出来ない
駆け足が出来ない
突撃が出来ない
方向転換が出来ない
匍匐前進が出来ない
そしてこのために軍隊では歩行についての訓練の強化改定がされたそうで、恐らくこの運動が学校教育にも 取り入れられて、今のように子供の頃から歩行について教育を行ったことでだんだんとなんば歩きが駆逐されていったんだろうと思います。
このなかで方向転換が出来ないという事も、武士としての教育を受けていなければ難しかったことだろうと思います。
礼法でも、大基本として立つ・座る・真っ直ぐ歩く事の次に廻るという事を わざわざ教えてたくらいですからね。
昔はなぜわざわざただ方向転換するという事を教えなければ 出来ないんだろうって疑問に思ってたもんですが、身体運用から徹底的に旋回動作を省いていくと方向転換って事だけでも結構難しいもんです。